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2023年6月19日

コラム

「万博」ではたらくということ

2025年4月13日に大阪・関西万博が“いのち輝く未来社会のデザイン”をテーマに開幕します。まだ2年も先と思われるかもしれませんが、2018年に開催地決定、その前から招致活動をしていたこともあり、イベントに携わっている私たちは “いよいよ”と感じています。
全国規模の大型プロモーション・スポーツイベント・博覧会・式典・シンポジウム・常設施設などの人材派遣を行う当社サピエントでも、人材の募集や教育など、早くから準備を進めています。万博での経験が豊富なシモベさんに、万博についてお話しを聞きました。

愛・地球博の経験

まずは、参加者としての思い出をお聞かせください!

“人類の進歩と調和”をテーマに、1970年大阪万博が開催されました。ベビーカーで連れられて行った幼い私に、その時の記憶はないのですが、ものすごく人が並んでいて大変だったと両親が話していました。太陽の塔や月の石が評判で6400万人の方が訪れ、当時の最多入場者数となったそうです
その後、日本では博覧会ブームがきて、国際博や地方博が多数開催されました。関西在住の小学生だった私は、神戸で開催された「ポートピア‘81」に何回も入場し、中国から来た2頭のパンダに夢中でした。他にも、「ジャパンフローラ2000(淡路花博)」、「国際花と緑の博覧会(EXPO’90)」などの会場にも行っています。

“博覧会をやるなら、みんな行く”、というのが時代の感覚でした。
会場内で新しいものを見られたり、未来を体感できるだけでなく、鉄道が開通したり、周辺に高層マンションができたり、私たちの普段の生活も一緒に進化していた気がしますね。

 

仕事としての経験はいかがですか?

仕事として万博に関わったのは、2005年に愛知で開催された愛・地球博からです。
博覧会は多く開催されていても、万博となると大阪万博以来なので、これが最後のチャンス!と当時は思っていました。歴史に残るイベントで仕事をしたい、世界の歴史に触れる体験をしたいと思っていましたので、パビリオンの運営に携わらせていただいた時は、歓びと責任感で胸がいっぱいでした。

各国のパビリオンや企業館が連なる万博会場は、一般のイベントや地方博とは、その規模や国際性もまったく違いました。期間限定のテーマパークという感じですかね。トヨタグループ館では楽器演奏ロボットやDJロボット、JR東海 超電導リニア館3D映像での走行体験、日立グループ館ではライドに乗りながらMR映像演出で希少動物との触れ合いができたり、非日常の体験を新しい技術を使って実現していました。名古屋市パビリオンで藤井フミヤさんがプロデュースした世界最大の万華鏡「大地の塔」は幻想的で本当に素敵でした。

聞いているだけで楽しそうです。

各国パビリオンでは、歴史や文化を通してその国の魅力を伝える観光PR的な内容と、環境問題と未来の発展の調和をテーマにしたものが多かったです。各国のレストランでいろいろな国の食べ物とお酒をいただくのが私のひそかな楽しみでした。
意外と好評だったのが、ピンバッジです。公式のものや各パビリオンのものだけでなく、レアものなど種類が多くて、現在もオークションサイトで人気になっています。変わったところでは、トラブルがあった時のお詫び用のピンバッジなども用意していました。

 

万博での人材のおしごと

どんな方がいらっしゃいましたか?

プロのアテンダントが多い一般イベントと比べ、万博では普段は他の仕事をしている方や主婦の方の一般公募が実は多かったりします。OLの方が会社を辞めてとか、主婦の方が妊活を遅らせて応募、なんてこともあったんです。
仕事というよりも、歴史的なイベントに関わってライフステージの1つに、という気持ちをもった方が多いですね。会期が長いのでしっかりと研修期間をとって準備しました。1パビリオンで数十人のアテンダントが働いているので、採用もトレーニングも大規模なものになりました。他にもアテンダントをすべて役者の方で固めて、世界観を出すという企業もあります。

どれくらいの期間だったのでしょうか?

本番185日間に研修期間も加えた長い時間を一緒に乗り切ることで、仲間の絆はとても強くなります。閉幕のフィナーレも感動するのですが、別日に解団式を実施します。建築時から研修、会期中などの映像を流したりするのですが、ここではみんな号泣していました。いまでも同窓会をやっている人もいます。
海外パビリオン同士の交流は多く、よくパーティを開催していました。博覧会協会もスタッフ同士の交流を推進していて、パビリオン対抗フットサル大会なども実施していました。万博はそれ1つで1つの街というか自治体ができあがった感じでした。

何か記憶に残った出来事はありますか?

印象的だったのは、警備の厳重さです。開幕日だけでなく、ナショナルデイなどには各国からVIPの方が来場するのですが、警察犬や多数のSPが会場警備に加わったり、ものものしい雰囲気でした。会期中にロンドンでテロがあり、イギリス館を臨時に閉鎖したこともあり、国際情勢を身近に感じました。

やりがいのあるお仕事だと感じますね。

万博を契機にアテンダントを職業にする方も多いです。アテンダントの方にとっても万博で働いたということはキャリアの上での実績や自信になりますからね。私たちイベント会社にとっても、このようなメガイベントでの経験は、苦労はありますが、達成感も大きくサービス品質の向上につながります。一度万博を体験すると癖になるといいますか、私は、2008年のサラゴサ(スペイン)、大阪万博が決定後の2017年のアスタナ(カザフスタン)に参加するほど、万博マニアになってしまいました。

これは個人的な感想なのですが、万博でアテンダントとして働くことは就職活動としても使えると思います。特に接客業での採用には博覧会経験が役に立つことも多く、即戦力になります。閉幕後に出展した企業が、アテンダントをした方を採用することが実は多いんです。イベントで接客力やあらゆるトラブルやシチュエーションに対応する臨機応変さも身につきますし、事業内容や会社のビジョンについてはしっかり頭に入っていますので、8カ月間みっちり新人研修をしたようなものです。企業側にとっても即戦力の方を一度に採用できるのは大きなメリットですよね。もちろんウチのアテンダントに登録してくれる方も大歓迎です。

 

大阪・関西万博で何が変わるか

 

2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)は、夢洲の液状化の不安やコロナでの準備の遅れもありますが、着々と準備が進んでいるようです。当社も募集の準備などを進めています。人材の部分でこれまでと違うのはジェンダーレスな人材配置でしょうか?これまではアテンダントが女性、会場運営が男性ということが多かったのですが、外資系企業を中心にアテンダントも男女同じくらいに、というルールにしているところが多いです。大阪・関西万博を機に、その流れが日本企業にも拡がっていくのかなと思います。

まさに、時代の流れですね。

現状では男性のアテンダントをする方が少ないので、どうやって人材を募集するかは課題ですね。男女ともに研修メニューに変わりはないので、そのあたりは大丈夫だと思いますが、コスチュームをどうするかですね。女性はスカートというのも変えていって全員パンツルックにするとか、衣装も揃いではなく自前のものを、といったようにイベント人材の文化も変っていくかもしれませんね。そういえばハイヒールを履かない運動もありましたが、アテンダントの女性は足がきれいに見えるヒールを履きたい方が多いんですよね。

昨今、LGBTとかも話題にあがっていますが…。

LGBTの問題ですとトイレや更衣室を設置しなければいけないという問題も設計段階ででてきますよね。また日本では普段意識していない人種差別撤廃についても外資系企業では配慮しなければいけませんね。
イベント現場は障害者雇用促進法の対象ではないのですが、障がいをお持ちの方にも多く活躍して欲しいですね。運用スタッフだけでなくアテンダントとして、手話通訳などのコミュニケーションなど、支援団体と協力して進めていければと思います。当社のリモート接客サービス「SAPI-MO(サピーモ)」を使って、車いすの方にアテンドをお願いする機会が増えるといいですね。

いいですね!最後に一言お願いします。

日本のイベント業界は前回の大阪万博を契機に1つの産業として認められるようになりました。今回の万博は規模拡大や発展というよりも、未来を考える場となっています。日本のイベント業界も新しい方向に向けて動き出すきっかけとなるかもしれません。そのためには人の力がもっとも大切なものだと思います。そんな万博に人材の面で関われることがいまから楽しみです。

シモベさん、ありがとうございました!

 

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